“上手之知感事”

最近、ふと思ったこと。


いつまでたっても軌道が見えてこない今の仕事。


半年過ぎても慣れない会社の雰囲気の中で
なんとなくPCを眺めながら、
そういえばまだ、ハンターハンターの最新刊を読めていないことを
思い出す。


片手間に読める漫画じゃないから、
いつか時間を取って集中して読もうと思っていたら、
なんか仕事が忙しくなって、毎日ぐったりしているから、
ハンターハンターに注ぐ体力と気力がなくなって、
こんな生活は想定していなかった。


この間、youtubeでネテロvsメルエムを見る外国人の反応を見たけど、
ネテロさんの足や腕が千切れる場面でショックを受けている人がいて、
残酷、なんだけれど、今も戦争や紛争で足や腕が千切れている人がいて、
そこまでショッキングな映像なんだろうかと冷静になってしまった。


「祈りとは心の所作」。


ネテロさんは音速を超えた心の所作で「百式観音」を大成させたんだけれど、
心の所作をも超える記述が確かあったなー・・・。


小西甚一さん編訳・世阿弥の「風姿花伝・花鏡」。


「上手之知感事(じょうずのかんをしること)」。


“面白き位より上に、心にも覚えず「あっ」と云ふ重あるべし。
これは感なり。心にも覚えねば、面白しとだに覚えぬ感なり。
ここを「混ぜぬ」とも云ふ。
易には感を云ふ文字の下、心を書かで、咸ばかりを「かん」と
訓ませたり。これ、真の「かん」には心もなき際なるがゆゑなり。“


「混ぜぬ」とは、色々な説はあるけれど、
この小西甚一さんに依れば、曹洞禅でいう「孤俊不混」からくる。


宇宙の根源的な実在は、あらゆる相対性を超越しており、
完全に混ずべき他者がない、の意味だそう。


「混ぜぬ」を「まぎれもない」と訳した小西さん。


自分に何が起こったから分からない “あつ” という 
“まぎれもない” “咸” を
観客に与える為手は、天下の名望を得る。


世阿弥はそう書いている。


音速を超える心の所作、その心を超越する「咸」の位。


もし念能力者で「咸」を体得した人がいたら、
その人はきっと観阿弥・世阿弥のような人なんだろうな。


覇者、ではなくて、どこまでも穏やかな人って感じ。


そして、私が能楽に夢中になるきっかけを与えてくれたのは、
厳島神社の観月能。


本当にわずかな瞬間、テレビで放映されただけ。


あの瞬間、「何か凄いものを観た気がする」って
ポカーンとなった。


あれはまぎれもなく「咸」だったのではないか。


その観月能を、ついに!
今年は観に行くことが出来た。


思い出に、時間があれば感想を記しておこう。

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